2006年01月10日
ひとりの少女が舞妓になるまで◆『おもちゃ』
京都の花街。西陣で機織りの仕事を営む貧しい家に育った少女・時子(宮本真希)は、家計を助けるために中学にも行かず、芸者置屋の藤乃家で住み込み奉公している。寡黙ながらもよく気の回る時子は、やがて自分自身が舞妓となる日を夢見て、早朝から深夜に至る雑用を、一言の愚痴もこぼさずこなしていった。 藤乃家の先輩芸妓の口喧嘩や掴み合いや、男をめぐる自由奔放な恋の駆け引き、女将・里江(富司 純子)とパトロン吉川(津川雅彦)の言い争いなどを毎日のように見せつけられながら、時子はその様々な出来事を冷静に受け止め、女たちが逆境に立ち向かいながら生きていく術を学ぶのだった。やがて、そんな時子にも舞妓として世に出る日がやってくる。 予告編から受けた印象はあまりよくなかったのだが、たまたま観る機会を与えられたので、全く期待せずに観に行き、思わぬ拾い物をしたような気持ちになった作品だった。男と女の愛憎や、愚かだったり、したたかだったりする部分を新藤兼人が見事に脚本に描き、それを名匠・深作欣ニが映画化したものである。
舞妓になるために、芸者の家で住み込みで働いているひとりの少女が、一人前の舞妓として世に送り出されるまでという説明めいた話を、周りの芸妓たちなどの性と人間模様を絡めてテンポよく進めていき、退屈させない。時子があまりにもけなげな良い娘で、観ていて自然に彼女の応援モードに入ってしまい、監督の戦略にまんまとハマった形となったのだと思う。
時子役の新人・宮本真希は、セリフ回しなどには多少拙さを感じたが、真っ直ぐな瞳が印象的で、純な少女役にふさわしく、とてもいい演技をしている。彼女の周りも個性的な魅力を持った人たちばかりで、それを演じる役者たちがみな、それぞれにとてもいい味を出していた。藤乃家の女将・里江役の富司純子は、凛とした女の強さを貫禄充分に演じ、芸妓3人組みの南果歩、喜多嶋舞、魏涼子はそれぞれに個性の強い女を気持ちよく演じていて、それがこの作品の魅力を倍増させていたし、それ以外にも、ほんの脇役に至るまで、配役には手抜きが感じられなかった。
無知な私は“舞妓”というものが、どんな道を通っていかなければならないのか知らず、この作品によってその裏事情を知り、驚きと同時に悲しくなってしまった。“舞妓になること”というのは、普通の女として生きるということを捨てること。ひとりの女としては、それはとてもつらく悲しいことなのに、それを「ありがとうございます」と受け、みんなに「おめでとう」と言われる…。皆がそれを明るく騒ぎ立てるほど私は悲しくなってしまい、涙が止まらなくなってしまった。
しかし、時子が無事、舞妓として送り出されたところで感動のエンディング…と思いきや、そこで新たなフィルムに切り替わってしまった。そこからフィルム1巻分、観たくないシーンを見せられ、ガックリ。“舞妓の説明”としては必要だったのかもしれないが、ラスト15分は文芸としても芸術としても、全く必要のないシーンだったと思う。取って付けたような説明臭いシーンで、それが作品のレベルを著しく下げてしまっていたのが非常に残念だった。
(1999年、劇場にて鑑賞)






