映画の感想(2005年07月)
2005年07月25日
大人には魅力を感じられないアニメ◆『ロボッツ』(字幕版)
私はピクサー×ディズニーのアニメーションは大好きで、『ファインディング・ニモ』以外のDVDは全部持っている。話は単純なのだけれど、キャラクターの魅力がそれを大幅にカバーしていて、子供だけでなく、大人でも十分に楽しめる作品になっている。しかし、この20世紀フォックスの『アイス・エイジ』のスタッフが作ったという『ロボッツ』には、何も魅力を感じることは出来なかった。子供が楽しめれば十分だ。大人が楽しめる作品ではない。
ピクサー×ディズニーの前作『Mr.インクレディブル』では、子供には絶対に分からないような、お父さんが会社にネチネチといじめられていたようなネタあり、それは子供には分からないだろうが大人の目から見て楽しかった。この『ロボッツ』でも理不尽な会社のやり方が中心となっている部分があり、『Mr.インクレディブル』を真似て大人の社会を描いてみたものの、見事に失敗したという印象だった。
ロボットのロドニーは、発明家になるのが夢。大発明家のビッグウェルド博士の元を訪ねてロボット・シティへ向かう。しかし、彼の会社は既にラチェットという金儲けしか考えていない新型ロボットに支配されていた。ラチェットは、古い部品の製造を一切廃止し、バージョンアップ出来ない旧型ロボットたちをスクラップにしようと計画していたのだ。それを知ったロドニーは、幽閉されていたビッグウェルド博士を探し出し、一緒にロボット・シティを立ち直そうと立ち上がる。
ストーリーには、古い部品を製造中止にし、修理して直すことを不可能にして、新しいモノを買わせようとするという、社会問題が核となっている。大人にしか分からないようなネタなのに、大人には魅力を感じられない。子供は果たしてこの映画を「面白い」と思うのだろうか。きっと「ロボットがいっぱい出てきて楽しかった」くらいの感想なんだろうな、と思う。
ドリームワークスのアニメーションはピクサー×ディズニーにオスカーを掛けてでも張り合えるほどの実力を付けてきたが、 20世紀フォックスはまだまだだな…というのが正直な感想だったりする。字幕版でこれだけ楽しめなかったのだから、大人が観る吹替版はもっと面白くないのではないだろうか。
2005年07月24日
野生には、作り物でないドラマがある◆『皇帝ペンギン』(吹替版)
南極で厳冬の中、ただ子孫を残すためだけに生きる皇帝ペンギン。その生態を描いたドキュメンタリーである。最近公開されたドキュメンタリー作品では『WATARIDORI』と『ディープ・ブルー』も観たが、私はこの『皇帝ペンギン』に一番ドラマを感じたし、一番好きな作品でもあった。
群れで生活している彼らは、気に入った相手を結婚相手を見つけ交尾をし、メスが卵を産む。そしてその卵を温めるのはオスであり、メスは夫と卵を置いて、餌を探しに2ヶ月以上歩いて海へ向かうのだ。オスはメスが餌を獲って帰ってくるまでの間、4ヶ月もの断食をして、マイナス40℃の寒さをしのぎながら、卵を温め続ける。もちろん、海にたどり着く前に死んでしまうメスも居れば、メスの帰りを待ちきれずに死んでしまうオスも居る。どちらかが死んでしまえば、その時点で卵の中のヒナも死んでしまうことになる。まさに、命をつなぐためだけに生きているようなものだが、それが本来の動物の本能なのだ。
これは、野生動物の生態に興味がない人には、面白くも何ともない映画だろうと思う。しかし、NHKでやっていた『野生の王国』ファンだった私にはとても面白かったし、同時に水族館でペンギン水槽の前から何時間も動かないようなペンギン好きの私には、たまらない作品だった。
ドキュメンタリーにあれこれ感想を述べていても仕方ないので、映画とは全く関係ないけれど、 2002年に北海道登別のマリンパークニクスで撮った、ペンギンパレードの写真でもお見せしましょう。
突然整列し始めた。
飼育係のお兄さんの合図に従って、ペンギンパレードの始まり!
ペンギンたちも、何だか楽しそうだったりする。
ちなみに、このコはキングペンギン。皇帝ペンギンはもっとデカい(平均体長120センチくらい)。
このコの名前は「ペンちゃん」。オスなんだけど、飼育係のお兄さんに恋をしていて、傍を離れようとしない。
行進の終点には、雪が積んであり、ペンギンたちはしばしの間、そこで自由に遊ぶ。
そして休憩が終わると、飼育係のお兄さんの合図で再びペンギン山へと帰るのであった。
※ペンギンパレードはとっても面白いので、みなさんも一度ご覧になって下さい。 2002年にはここでしか見られなかったみたいですが、最近は色んな水族館でやってるみたいですね。
(写真は全てクリックすると大きくなります)
あと…水族館のペンギンは居心地が良さそうでいいね。野生のコたちは大変だわ。
2005年07月21日
人物相関図を把握するのが大変◆『姑獲鳥の夏』
京極夏彦の小説は、何となく難しそうで手が出ない。 …というより、実際難しいのだろう。その映像化も難しいと言われていた独特の世界観が、今回初めて映画になったという。私は予告編での知識しかなかったので、てっきり堤真一が演じる京極堂が金田一耕助のような探偵で、難事件を解決して行く話かと思ったら、違っていたので意外だった。京極堂は古本屋の店主であり、神社の神主であり、陰陽師だったのだ。探偵は別に居て京極堂に協力するのだが、阿部寛が演じるこのやる気のない探偵・榎木津も、実は「見えないものが見える」という、不思議な力を持っている。登場人物たちのキャラクターは魅力的だった。しかし、ストーリーはどうなんだろう…。
昭和20年の夏。由緒正しき大病院・久遠寺医院にまつわる、色んな不気味な噂が立っていた。医院の婿養子は、ある研究を完成させた直後に、病院内の密室から姿を消して行方不明となり、その妻は妊娠20ヶ月を過ぎても出産しない。おまけに、その病院で生まれた新生児が、次々と姿を消す。新生児連続誘拐事件を捜査する刑事・木場(宮迫博之)は、聞き込みをしていくうちに、その久遠寺医院にまつわる噂を耳にする。
元々難しい話を、映画的にかなり分かりやすくアレンジしたのだろう… というのは私の勝手な推測なのだが、それでも難しかった。ストーリーのテンポに私の頭がついていけなくて、人物相関図を頭の中で構成するので精一杯で、とてもそのストーリーを楽しむ余裕がない。ラストシーンまで観て、ようやく人物の繋がりが理解出来たので、もう一度観ればよく分かるかもしれない。しかし、ミステリー作品なので、ネタが分かっているものをあえてもう一度観る気にはなれない。 …というより、そこまでしたいほど面白い話でもなかったというのが本音だったりもする。でも、決して面白くなかった訳ではない。可もなく、不可もなく…という印象だった。
原作での京極堂のイメージは分からないが、堤さんの京極堂はナカナカ良かったんじゃないかと思う。あと、榎木津探偵を演じた阿部寛も、彼らしくナイスキャラを演じていた。
2005年07月19日
予告編はネタばらしすぎ◆『アイランド』
この作品って、予告編を観ると思い切りネタをばらしちゃっているんだけど、それって知らない方が絶対に映画を楽しめると思うので、私は予告編で触れているネタばれには触れずに書こうと思っている。
とある施設で働くリンカーン(ユアン・マクレガー)とジョーダン(スカーレット・ヨハンソン)。彼らは衣服から食生活まで、完全に管理された施設の中で生活しながら、ただ「アイランド行き」の日を待っていた。「アイランド」とは、施設の中で抽選で選ばれた者だけが行くことが出来る、地上に残された最後の楽園だと言い、誰もがそこに行くことを目標に施設で働き続けていたのだ。中には施設に来てたった半年で「アイランド行き」に選ばれる者も居れば、 7年経っても「アイランド」には行けず、施設で働き続けなければならない者も居た。そんなある日、ジョーダンの「アイランド行き」が決定するが、それと同時に、リンカーンは「アイランド行き」の本当の意味を知ってしまう。それは、施設で働く者たちが考えてもいないような、恐ろしい出来事だった。「アイランドなんて存在しない」そうジョーダンに説得し、リンカーンは彼女と二人で施設からの逃亡を図る。
単純に私の好みで言えば、こういう近未来もののパニック映画は、当たりと外れが大きく分かれるが、これは「当たり」の方に入ると思う。「アイランドの秘密」や、追いかける側と立場と理由がはっきりしている点、追われる側の事実を知った切なさなどもきちんと描かれている点など、ただの追いかけっこのパニック映画では終わっておらず、スリルもあってかなり面白かった。 ユアン・マクレガーもスカーレット・ヨハンソンも、かなりいい感じの演技力で作品を盛り上げているし、久しぶりにスティーブ・ブシェミを見ることが出来たのも嬉しかった。
ただ、監督が『アルマゲドン』や『パール・ハーバー』などのマイケル・ベイだけあり、無用に派手なアクションが多いのが気になった。名前とセリフがあって、主人公と絡む役柄の人間の命の重さは十分に表現しているのに、街なかを走っている関係ないクルマは平気でなぎ倒し、通行人をはね飛ばすということを平気で行う。私にはその矛盾がどうしても理解し難い。ストーリー自体はとても面白いし、スリルもあった。しかし、意味なく街を破壊しすぎるアクションだけが鼻について仕方ない作品だった。
ネタばれにはならないと思うが… あのラストシーンはハッピーエンドと受け取っていいのだろうか。あそこからまた新たな、とんでもないパニックが起こり得る心配をしたのは、私だけだろうか。
2005年07月18日
関西系韓国コメディ◆『彼女を信じないでください』(2回目)
前回のレビューで書いたが、1度目の鑑賞の時は不覚にも眠ってしまい、私の中で、途中15〜30分くらいのシーンが欠落していた。それなのに目が覚めてからの展開がものすごく面白くて、途中眠ってしまったことを公開したほどだった。だから、もう一度観に来た。
この映画は、吉本新喜劇風のドタバタコメディのようだ。些細なことなのに、周りにおせっかいなおじさんやおばちゃんたちが大勢出てきて、騒動がよけいに大きくなってしまうのも、まるで関西風のコメディそのもの。こういう映画は、日本では井筒監督が得意としている分野だろうと思った。
詐欺師のヒロイン・ヨンジュ(キム・ハヌル)が仮出所中に、たまたま電車の中でヒチョル(カン・ドンウォン)と向かい合わせに座ったことが発端だった。ヨンジュはヒチョルが大切な婚約指輪をスラれる場面を目撃し、反射的に犯人を追いかけて電車を降り、指輪をスリ戻したまでは良かったが、大切なモノが入ったカバンを車内に残したまま、電車は出発してしまったのだ。ヨンジュはそのカバンを取り戻すために、ヒチョルの家を探し出すが、婚約指輪を持っていたため、ヒチョルの家族に婚約者と間違われ、大歓迎を受けてしまう。最初は戸惑ったヨンジュだったが、肝心のヒチョルは不在。仕方なく、カバンを取り戻すまでの間、ヒチョルの婚約者になりすまして家に居付くことにする。
前回、<チラシには「『猟奇的な彼女』より絶対おもしろい!」と書いてありますが、『猟奇的な彼女』が大好きな上、今回の映画では眠ってしまった私には、どっちが面白いという比較は出来ません>と書いたが、この作品は『猟奇的な彼女』と比較するのが難しいほど、最初から最後まで面白かった。『猟奇的な彼女』同様、よく練られた脚本で、どれだけのドタバタを繰り返しても飽きることはなく、それでいて、ヨンジュとヒチョルがお互いに惹かれて行くという恋愛要素も盛り込んであり、ラストシーンのまとめ方も実に上手く出来ていて、言うことなしのラブコメディだった。
『オオカミの誘惑』ではニヒルな役を演じていたカン・ドンウォンも、徹底的に情けない男を演じきっていたし、キム・ハヌルのコメディエンヌぶりもばっちり。監督は、この作品が長編デビュー作になるらしいが、次回作も期待出来そう。
隔離された空間での戦争映画◆亡国のイージス
こういう系統の映画は得意ではないので、自分でお金を払っては絶対に観に行かないだろうなと思いつつ、何気なく試写会に応募してみたら当選したので観に来た。しかも、今日は勝地涼くんの舞台挨拶つきだ。彼の演技はテレビドラマの『さとうきび畑のうた』でしか観たことがなく、その時も特に印象に残った演技をしていたという記憶はなかった。(私がオダギリジョーしか観ていなかったからかもしれない)
1986年生まれだというので、今年19歳。(カッコいいけど、産める年なので恋愛対象にはならなくて残念…) 19歳とは思えないほど、インタビューには「はきはき」と的確に答えていて、すごく好印象だった。きっと頭の回転が速いコなんだろうなということが、インタビュアーに返す言葉の内容でよく分かった。この映画には真田広之、寺尾聰、佐藤浩市、中井貴一という、錚々たるメンツが揃っているのだが、これらの人たちの前ではきっと勝地くんも話したいことも話せないだろうと思うので、こうやって一人でキャンペーンに回っていることが、返って色んな話が聞けて良かったかもしれない。
海上自衛隊のイージス艦『いそかぜ』が、某国のテロリストたちに乗っ取られた。艦長は既にテロリストの手によって殺され、乗務員たちを強制退去させるよう命令する。艦長の下で指揮を取る宮津副長(寺尾聰)とその部下たちは、テロリストたちと共謀し、ある作戦を開始しようとしようとしていた。彼らの手には、わずか1リットルで東京を壊滅させるほどの威力がある特殊兵器があり、『いそかぜ』を東京湾に接近させて、テロを起そうと考えているのだった。一度はテロリストの命令通りに退去した先任伍長の仙石(真田広之)だったが、彼らの作戦を阻止しようと、たった一人で『いそかぜ』に戻って行った。
かなりミステリーな要素も含んでいるので、詳しい内容には触れないでおこうと思うが、これは、観て良かった。試写会に当たらなければ「興味ない」と言いながら観なかっただろう映画だったので、当選させて頂いて、観ることが出来て本当に良かったと思った。それくらい面白かった。テロリストたちがどこの国の人間かは映画の中でも曖昧にしてあるので、詳しいことは言えないが、これは日本と「某国」との、これから起こり得る戦争映画の括りにしてもいいとも考えられる。
海上に浮かんだ船の中という、隔離された空間での戦争映画なので、銃を向けられれば撃ち返す。当然大勢の人間たちが祖国のために戦い、命を落としていく。その中で、刻一刻と東京が危機に瀕していくのだが、その「東京壊滅」という最悪の事態を避けようと、政府も躍起になる。「戦争映画」というと聞こえが悪いが、実際には東京壊滅も戦争自体も阻止しようとし、隔離された空間で孤独に戦う先任伍長・仙石の物語と言った方がいいのかもしれない。
勝地涼は、如月行1等海士という役どころで、謎めいた役であるため詳しくは書かないが、彼がこの物語のキーパーソンであることは間違いない。 19歳とは思えないほど堂々とした演技で、真田広之らと張り合っていたので驚いた。今後が楽しみな俳優のひとりとなった。
他にも、吉田栄作、谷原章介、豊原功輔、安藤政信、原田芳雄、原田美枝子、岸辺一徳、真木蔵人と、キャストも豪華。谷原章介は、どこに出ていたのかも分からなかったし、安藤政信はセリフの1つもなかった。このキャスト陣も、みな阪本順治監督と、この作品の魅力によって集まってきたのかもしれない。私も、阪本順治監督の演出力があったからこそ、苦手なこのタイプの映画を最後まで夢中になって観ることが出来たのかもしれない。
いつの時代も変わらない子供たちの友情◆『HINOKIO』
ロボットを自由自在に操ることは、昔からほとんどの子供の夢だった。私より前の時代に育った人たちの間で流行ったものの話はよく分からないが、私は子供の頃、『マジンガーZ』や『タイムボカン』のシリーズをよく観ていたし、私より少しあとの世代になると、完全に『ガンダム』になるのだろう。しかし、今の子供はどうなんだろう。あまりそういう話は聞かないような気もする。今はテレビゲームで自分が主人公になって仮想空間に入れるから、もしかしたらそういうものは必要ないのかもしれない。現に、最近のSF映画に出てくるロボットたちも、ほとんどが予めインプットされた通りに動いたり、「自分の意思」を持って勝手に動いたりして、「人間が操縦する」というロボットはほとんど出てこない。そういった意味でも、数年前に公開された『ジュブナイル』は逆に新鮮で面白かった。しかし、そういうものもほとんどが「巨大なロボット」というより「巨大なマシン」のようであり、自分と等身大のロボットを操縦する作品というのはめずらしい。だから、この『HINOKIO』を観た時、私は「今までありそうでなかったストーリー」という印象を受けた。
これまで、日本映画でCGやVFXを監修してきた秋山貴彦が、初めて監督に挑戦した作品。一瞬、『ジュブナイル』の監督だった人かと思ったが、その人は山崎貴だった。同じような系統の作品なので、ちょっと、紛らわしい。というか、私は『ジュブナイル』の監督の新作だと思って観ていて、あとで別人と知ったのだった。
岩本サトルは交通事故に遭い、母親を失って、自分も歩くことが出来ない身体になってしまった。そのショックからリハビリも拒否し、部屋の中で引きこもる生活を1年間も続けていた。サトルの父親は介護ロボットの研究者で、サトルに自分が開発したロボット<H-603>を与える。サトルに自分の部屋からそのロボットを操縦させ、<H-603>に学校に行かせようとしたのだ。<H-603>を使って、一年ぶりに学校に登校したサトル。同級生たちは興味深々で、材料に檜が使われていたことから、<H-603>は『HINOKIO』というあだ名を付けられる。最初は、他の生徒たちとコミュニケーションを取らなかった『HINOKIO』(サトル)は、ジュンというガキ大将たちにイジメられるが、やがては彼らと仲良く出来るようになった。しかし、彼らの間に友情が芽生えかけたとき、ある事件が起こる。
この映画は10年前では作れなかっただろうな…と思う。「ロボットを操縦する」という発想は出来ても、引きこもって口をきくことが出来ない子供が、代わりにロボットに喋らせる…ということは、パソコンや携帯電話などの『ツール』を用いてしか相手とコミュニケーションを取ることが出来ない人が増えているという、現代の闇の部分をそれとなく描いているような気がした。
(以下、多少のネタばれが含まれます)
ガキ大将ジュンもまた、母子家庭で母親は夜の勤めに出ている。これもまた、現代の子供たちの状況を端的に表しているシーンだ。ジュンは最初は陰湿なイジメを『HINOKIO』に対してするのだが、根は悪い子ではない。唯一、テレビゲームにハマらなかったジュンは(貧しくて買ってもらえなかったとも考えられる)、テレビゲームより魚釣りの楽しさを『HINOKIO』の目を通してサトルに教え、サトルを『HINOKIO』とは呼ばず、「サトル」と呼ぶ。この子の存在が殺伐とした現代の子供たちの中で、唯一生き生きと輝いていたような気がした。
映画の中にはテレビゲームにすっかりハマってしまい、「ジャンキー」と呼ばれる子供も出てくる。この映画は、ゲームの中の仮想世界と、現実がリンクしてしまうというファンタジー的要素を含み、「ジャンキー」になってしまった子供も、仲間たちの思いによって救われ、あることがきっかけで瀕死になったサトルも、そのテレビゲームの仮想世界とのリンクで救われる。ファンタジーではあるが、結局はそういう子供たちの間の「友情」の話なのだ。
完全に子供向けの映画だとは思うが、大人でも楽しめる作品。時代は変わり、表現方法は変わっても、子供たちの間の「友情」の話は、いつの時代も観ていてスカっとする、不変なものを感じる。
2005年07月17日
スンシンの視点で観た場合◆『フライ,ダディ,フライ』 (2回目)
2回目なので、ネタバレで書きます。未鑑賞の方は、こちらをどうぞ。 ↓
期待を裏切らない面白い作品◆『フライ,ダディ,フライ』
いつも拝読させて頂いている『まつさんの映画伝道師』のまつさんは、この映画を「復讐劇だ」と書いていた。なるほど、さすがまつさん。実は私も2度目にこの作品観た時、「復讐劇だな」と思って観ていた。でも、まつさんの意見とはちょっと着眼点が違った。私は「スンシンの復讐劇」だと思ったのだ。
子供の頃、リストラされてとち狂ったサラリーマンにいきなり刃物で刺され、血まみれになって家の中に逃げ込んだスンシン。そのことをきっかけに、「そんな奴らに負けないように」と身体を鍛え始める。そして腕っ節には十分に自信がついたある日、刃物を持ったサラリーマン・鈴木さんが学校に現れる。もちろん、スンシンは蹴り一発で鈴木さんから刃物を奪い、拳一発でノックアウトする。スンシンは、鈴木さんを倒したことで、子供の頃に自分を刺したサラリーマンへの「復讐」を果たしたのだ。
しかし、鈴木さんにはスンシンを刺したサラリーマンとは違い、ちゃんとした理由があった。自分と同じ年頃の娘を傷つけられた相手が許せないと言う。しかも、その娘を傷つけた相手というのは、相当なワルだということをスンシンとゾンビーズは知っていた。そこで鈴木さんが本気なら、スンシンとゾンビーズはそれをバックアップしてやろうとするのだ。
それも彼らは最初は本気ではないではなく、ただの退屈しのぎに過ぎなかった。スンシンも「3日もったら誉めてやるよ」と言い、2日めは「おい、あのおっさん来たぞ」と言う。スンシンにとっても、最初はただの「おっさんイジメ」だったのだ。ゾンビーズもどういう理由でリタイアするのか賭けては楽しんでいたが、彼らは鈴木さんの「本気」を知ったとたんに真剣な応援モードへと変わって行き、やがては彼らの間に友情が芽生えてくる…という話だ。
在日朝鮮人のスンシンは、「今の世の中」は昔よりは暮らし難いものではないだろう。しかし父親はおらず、母親は夜の仕事(水商売ではなく工場勤務か何かかな、と思った)に出ている。帰って来たときに、真っ暗な部屋の中に向かって「ただいま〜。おかえり〜」と独り言を言うのは、本当は迎えてくれる人が欲しい証拠だ。しかし、母親はスンシンを愛していていないわけではなく、食卓の上には、「温めて食べて下さい」と書かれたメモと共に、心のこもった食事が用意されている。夜、働きに行かなければ生活できない、在日朝鮮人の現状なのだろう。鈴木さんはスンシンに「メシでもご馳走するよ」と言うが、スンシンは「メシは家で食え」と言ってその誘いを断る。例え冷えていても、スンシンは母親が心をこめて作った料理を自宅で食べたいのだ。
『燃えよドラゴン』に関しては、実は観たことがないので、細かいネタまでは分からなかったが、ドラゴンフリークの人には、たまらないネタも満載だとか。それが分からなかったのが、ちょっと残念だったりする。 ラスト、鈴木さんとスンシンが一緒に走っている姿は、師弟でもなく、友人でもなく、親子に見えた。スンシンも、鈴木さんに自分の理想の父親の姿を見付けたのかもしれない。
私は小説本を読んでいないので、あくまで「映画を観ただけの印象」でスンシンを語ってみた。いかがだったでしょう?
2005年07月13日
『彼女を信じないでください』(2回目)
7月13日(水) THE HALLにて
前回、途中で眠ってしまったことがどうしても悔しくて、もう一度観に来ました。この劇場のレディースデーということもあって、30人ほどの観客は全員女性。しかも、「おばちゃん」が多くてびっくりでした。「上映中にうるさくされると嫌だなー」と思っていましたが、みんなマナー良く観てくれていたので助かりました。
映画は面白い!
前回は「途中、眠ってしまったことを後悔したくらい面白かった」と書きましたが、全部観たら、本当に面白い映画だということが分かりました。 感想は後日アップします。
評価も★★★★から★★★★★にアップ!
2005年07月10日
『フライ,ダディ,フライ』(2回目)
7月10日(日)TOHOシネマズ木曽川にて
【ひとこと感想】
試写会で一度観たのに、どうしてももう一回観たくて来た。
前回「もう一度観に行こうと思っているので、その時にはネタばれも含めて、もっと突っ込んだ感想を書こうと思う」と書いたのだけれど、まだ公開も始まったばかりだし、私自身ちょっと忙しくて、じっくりと文章を練っている時間がないので、ネタばれ付き感想はもう少しあとでアップする予定。でも、本当に面白い作品なので、迷っている人は観た方がいいよ。
ネタばれなしの、一回目に観た時の感想はこちら
※現在、管理人多忙のため、備忘録的な【ひとこと感想】で失礼させて頂いております。
2005年07月09日
『スターウォーズ・エピソード3 −シスの復讐−』
7月9日(土) TOHOシネマズ木曽川にて
【ひとこと感想】
思い返せば、私が初めて『スターウォーズ』を観たのは、1983年7月のことだった。エピソード6と言われている、『ジェダイの復讐』というやつだ。劇場で観たのだけれど、それまでの話の流れがさっぱり分かっていない私は、「アイム・ユア・ファーザー」という、いわゆる『オチ』の部分を最初に観てしまったのだった。
それからスターウォーズシリーズは、エピソード4→5→6(再見)→1→2という順番で、一応は制覇してきたつもりだったのだが、特に好きな作品ではなかった。とにかく、大勢が束になって『戦争』をする映画が、どうしても好きになれないのだ。実は、エピソード1と2を観て、このシリーズからは完全に撤退しようかとも思ったのだが、だからと言って、この完結編だけを観ないというのも、中途半端な気がした。それに、今はまだTOHOシネマズの無料パスも持っている。だから、観に行くことにした。
最近、飲んでいる薬の作用もあり、映画を観ている最中で眠くなることが多い。面白い映画なら眠気も感じずに楽しめるが、面白くないと完全に寝に入ってしまうこともある。この前も、興味がないくせに「どうせタダだから」と欲を出して『交渉人 真下正義』を観に行ったら、起きていたのは最初の5分だけで、気付いたらスリーアミーゴズが出てくる特典映像だった。「時間を無駄にしただけじゃん」と、さんざん懲りていたはずだったのに、私はまたやってしまった。
でも今日は、そうならないように、一応の努力はしたのだ。映画館で寝ないために家でお昼寝だってしたきたし、「何か食べていれば寝ないかも」と思い、普段は買わないポップコーンまで買って『スターウォーズ』に臨んだのだ。しかし…寝てしまった。
最初のシーンでアナキンとオビワンが「何か」と戦っているシーンだけは覚えている。しかし、それしか覚えていない。気付いたら完全に映画は終わっていて、場内は明るくなり、隣の人に「すみません」と前を横切られたところで目が覚めた。たぶんものすごい音響で銃撃戦が繰り広げられていただろうに、私は完全に熟睡していた。唯一好きなキャラクターの、ヨーダの顔すら拝むことは出来なかったし、『ダースベイダーのテーマ』も聴くことは出来なかった。
やっぱりどんな映画も、興味のないものは観ちゃだめだね。そう実感した出来事だった。
※現在、管理人多忙のため、備忘録的な【ひとこと感想】で失礼させて頂いております。
っていうか、これは完全にそういうレベルの問題ではないのだけれど…。
2005年07月07日
『ダニー・ザ・ドッグ』
7月7日(木)TOHOシネマズ木曽川にて
【ひとこと感想】
幼い頃から「闘犬」として育てられて来たダニー(ジェット・リー)。首輪をしている時には、ただの大人しい犬だが、一度首輪を外されると、相手を殺すまで戦い続ける。きちんとした教育を受けるどころか、「人間」としての生き方すら教えられていない。そんなダニーが「飼い主」から逃げ出し、普通の家庭で「人間としての生き方」と「愛」を知って行くという物語。
キレのあるアクションもさることながら、とにかくジェット・リーの目の演技が凄い。首輪につながれている時の寂しげな犬が、首輪を外したとたんに闘犬に変わる。暴力的なだけで終わってしまうだけでなく、彼が「愛」や「やすらぎ」を感じ、変化していく様も興味深く見ることが出来る。ストーリー的には、お決まりの娯楽映画の枠は抜け出していないようには感じたが、後味が悪くない、すっきりとした作品だった。
あとひとつ。モーガン・フリーマンはやっぱり素晴らしい俳優だと、つくづく感じた。
※現在、管理人多忙のため、備忘録的な【ひとこと感想】で失礼させて頂いております。
2005年07月05日
『逆境ナイン』
7月5日(火)TOHOシネマズ岐阜にて
【ひとこと感想】
ひとことで言って「おバカ映画」である。こういう映画は、好きな人はとことん好きだが、受け付けない人にとっては全くダメだろう。私はこういう「おバカ映画」は大好きなので、予告編を観た時からワクワクしていた。予想通りの面白さで、あまりのくだらなさに大笑いしてしまうシーンもいくつかあった。とにかく思い込みが激しく熱い主人公と、おバカな仲間たち。そして、あり得ない展開。『少林サッカー』のような映画が好きな人にはお薦めするが、普通の真面目なスポコン映画を期待して観ると、とんでもない目に遭う。もちろん、私は大満足だった。
※現在、管理人多忙のため、備忘録的な【ひとこと感想】で失礼させて頂いております。
2005年07月04日
『ラヴェンダーの咲く庭で』
7月4日(月)名演小劇場にて
【ひとこと感想】
サービスデーでもない平日の昼間に行ったのに、劇場はなぜかおばちゃんたちで一杯だった。「ペ・ヨンジュンもイ・ビョンホンも出ていないのになぜ??」と疑問に思ったが、これはやっぱりワイドショーでさんざん取り上げられた『正体不明のピアノマン』の影響なのだろうか。
ニュースやワイドショーでは、この『正体不明のピアノマン』と『ラヴェンダーの咲く庭で』の主人公の境遇が酷似していると取り上げていたので、ちょっとミステリー調の謎の人物の話だと思って観たら、全く違っていた。悪い話ではないのだが、もし『正体不明のピアノマン』の話を聞いていなければ、もう少し素直に受け止められたかもしれず、ちょっと肩透かしを食らった気分だった。配給会社は宣伝には成功したかもしれないが、この映画の本質を見失わせてしまい、映画を楽しみたい私にとっては、それを台無しにされた気分だった。
※現在、管理人多忙のため、備忘録的な【ひとこと感想】で失礼させて頂いております。
『タナカヒロシのすべて』
【ひとこと感想】
個性的な役者たちが揃って出ている作品なので楽しみにしていたのだが、あまりにも淡々とし過ぎていて、何も面白いものを感じることが出来なかった。「早く終わらないかな〜」と、ただそれだけを考えてスクリーンを見つめ、久しぶりに時計を取り出して「あと何分で終わるか」を確認してしまった映画だった。
時間を確認するためにスクリーンから目を離した瞬間にラストの1シーンがあって、結局何があったか分からないままエンドクレジットを見るはめになってしまった。一体この映画は何だったんだろう…。
※現在、管理人多忙のため、備忘録的な【ひとこと感想】で失礼させて頂いております。
2005年07月03日
想像以上に素晴らしかった作品◆『マラソン』
もしも、自分の子供の精神年齢が5歳で止まってしまい、そのあとその子が何歳になろうと、ずーっと5歳の子供を育てるように接しなければいけないとしたら…。母親は、放っておけばどこに行ってしまうか分からないその子の手を離すことが出来ない。「やっていいこと」「やってはいけないこと」「使っていい言葉」「使ってはいけない言葉」を繰り返し繰り返し教え込まなければならない。その子が20歳になっても、40歳になっても、ずっとなのだ。考えてみるだけでも気が遠くなる話だが、実際にそういう障害を抱えた子供を持つ親は、この世の中には数え切れないほど大勢居る。きっと普通に生活している人間たちには、計り知れない苦労があるに違いない。
チョウォン(チョ・スンウ)も、そういう障害を持った20歳の青年だった。写真を撮る時にカメラマンに「スマイル」と言われても、「笑う」ということが理解出来ない。「悲しい」とか「嬉しい」とか「楽しい」とか「つらい」とかいう、感情の表現をすることを出来ないのだ。母親のキョンスク(キム・ミスク)はチョウォンに精一杯の愛情を注いで育て、彼女のたったひとつの願いは、「息子が自分より1日だけ早く死んでくれること」だという。自分が産んだ子供だといえ、その子のために自分自身の一生を犠牲にしなければならないなんて、あまりにも神様は残酷すぎる。
そんなチョウォンにも、他人に負けない特技があった。それが『マラソン』だ。彼は、10kmの距離を"普通の人々"と一緒に走る大会で、3位に入賞する自慢の足を持っていた。母親のキョンスクは彼の才能を伸ばそうと、今度は42.195kmを走るフルマラソンに彼を出場させようと考える。しかし、ペース配分を理解することが出来ないチョウォンには、それは難しい課題だった。そこでキョンスクは、元・フルマラソンの金メダリスト、チョンウクにコーチを頼む。しかし、チョンウクの栄光はすでに過去のもので、今は飲んだくれの体育教師だった。キョンスクの熱意に負けて、チョンウクはチョウォンのコーチを引き受けるのだが…。
というストーリー。
私はこの作品を「障害者が健常者と一緒にフルマラソンを走って、無事完走しました」で感動を誘う作品だと思って観に行ったのだが、それは全く違う話だった。
チョウォンがフルマラソンに挑戦することになり、周りの人間たちはどんどん変わっていく。やる気のない飲んだくれのコーチも、障害者の兄を兄として認めていなかった弟も、自分の息子を見放していた父親も、みんなチョウォンの純粋な姿を見て変わっていくのだ。そして、母親は「チョウォンを走らせること」は自分のエゴイズムだったことに気付き、「母親に走らされていた」チョウォンは、自分自身の感情で走ることの喜びを知っていく。ラストシーンの1カットで、全ての変化が理解出来る、素晴らしい作品だった。 彼がフルマラソンを完走出来たかどうかは、あえてここには書かない。
先日観て感動した、『フライ,ダディ,フライ』と全く同じで、この映画にとって大切なのは、その「過程」であって「結果」ではないのだ。
2005年07月01日
『ミリオンダラー・ベイビー』2回目
【ひとこと感想】
『宇宙戦争』を4スクリーンも使って上映している余波なのか、この映画も今日で上映終了なので、最後にもう一度観に来ました。鑑賞前に読もうと思っていた原作本は、結局読めずじまいでの鑑賞となりました。前回のレビューは完全なるネタばれだったので、今回はネタばれにならない程度に書きますね。
今回、特に印象に残ったフレーズは、オープニングのスクラップの「ボクシングとは、勝つことで相手の尊厳を奪うスポーツである」というナレーションと、ラスト近くでマギーがフランキーに言った「私の尊厳を奪わないで」というセリフ。それを踏まえて考えてみると、マギーにとって「負ける」ということはどういうことだったのか…。ご覧になった方は分かりますよね。
あと感じたことは、マギーは心からママに愛されたかったのだな、ということ。「大丈夫、ママが世話してくれるわ」というセリフには、そのあとの展開が分かっている私にはズキンと心が痛みました。
最初に観た時には泣きませんでしたが、今回は『青い熊・ビリー』が登場した瞬間から複雑な気持ちが入り交ざって、ラストまで涙が止まりませんでした。
まだ上映している劇場はあるはずなので、観ていない人はぜひ観てみて下さい。観た人は、よろしければ最初に書いた私の感想を読んでみて下さい。
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人間の生き方を問う映画◆『ミリオンダラー・ベイビー』
※現在、管理人多忙のため、備忘録的な【ひとこと感想】で失礼させて頂いております。















