映画の感想(2005年09月)

2005年09月30日

故・野沢尚脚本の、見ごたえのあるサスペンス◆『深紅』4

0f5ecc61.jpg9月29日(木)ユナイテッドシネマ稲沢にて

小学校の修学旅行中に、奏子(堀北真希)は突然、荷物をまとめて東京に帰るように告げられる。奏子が留守の間に、両親と幼い2人の弟が惨殺されたのだ。それから8年…。大学生となった奏子(内山理名)に、家族を殺害した男、都築則夫(緒形直人)が死刑になるという報告が届いた。都築には奏子と同じ歳の未歩(水川あさみ)というひとり娘が居た。殺人者の娘は、今、どういう生活を送っているのだろうか。未歩に興味を抱いた奏子は素性を隠したまま、未歩に近づいていく。


昨年、自ら命を絶った、作家であり脚本家である野沢尚の遺作となった作品。第22回吉川英治文学新人賞を受賞している作品でもある。彼の作品で、第43回江戸川乱歩賞受賞作品を映画化した『破線のマリス』では、正直に言ってラストシーンでがっかりさせられたのだが、この作品には最後まで緊張感を持続させられ、予想しなかったラストシーンにも唸らされた。こんなに素晴らしいサスペンスが書ける作家が、この作品を遺作として自ら命を絶ってしまったなんて、残念で仕方ない。

サスペンスなので、ネタばれなしで。

この作品では、家族を殺されて残された娘と殺人者の娘の心理が、巧妙に描かれている。しかも、殺された家族は「殺されても仕方ないほどの恨み」を買っていたので、殺人者となった都築則夫の気持ちもよく分かるのだ。大人になり、殺された自分の父親(小日向文世)が都築則夫にしていた酷い仕打ちを知る奏子の気持ち。殺人者の父を許しながら、自分は「殺人者の娘」と公表し、その罪を引き継ごうとする未歩。様々な人たちの「やるせなさ」が交差して、見ごたえのあるサスペンスを作り出していた。

堀北真希は「自分の家族が事件に巻き込まれた小学生」の役を演じているのだが、実際には17歳の彼女がしっかりと小学生を演じ、悩めるその演技も素晴らしかった。内山理名は今までの作品を観た限りでは、あまり上手い女優ではないと思っていたが、本作ではいい演技をしていたと思う。水川あさみの存在感も絶品だし、いつも「いい人」の役が多い小日向文世の悪役っぷりもなかなかで、緒形直人が狂気に転じていくさまも見所のひとつ。ストーリーとキャスティングがばっちりと合っていて、単なるテレビの2時間サスペンスドラマとは完全に一線を画している。
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柴咲コウが「ブスな女」に見えない誤算◆『メゾン・ド・ヒミコ』3

9fe08eaf.jpg9月28日(水)TOHOシネマズ木曽川にて

私が心から愛する映画『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心監督と脚本・渡辺あやのコンビの新作に、私の大好きなオダギリジョーが主演すると知ってから、ずっと心待ちにしていた映画だった。しかし、舞台はゲイの老人ホームだという。『ジョゼと虎と魚たち』とは全く異なる世界を、果たして受け入れられるのだろうか…という心配もあった。


ある事情で膨大な借金を背負っていた沙織(柴咲コウ)は、小さな塗装業の会社で事務員として働きながら、夜はコンビニでバイトをする日々。そんな沙織のところに、彼女が小さな頃に母親と自分を捨てて出て行った父親の恋人と名乗る男・春彦(オダギリジョー)が訪ねてくる。沙織の父親は、妻子の元を離れたあと、ゲイバー『卑弥呼』のママになり、引退と同時に店をたたんで、ゲイのための老人ホーム『メゾン・ド・ヒミコ』を作ったのだった。しかし、その卑弥呼(田中泯)は、今は末期のガンに侵されて余命いくばくもない。春彦は卑弥呼のために、実の娘である沙織のところに出向き、『メゾン・ド・ヒミコ』で働かないかと誘うのだった。父親を憎み続けていた沙織だったが、お金のために風俗ででもバイトしようとしていた矢先のこと、春彦に破格のバイト代と遺産をちらつかせられ、彼女はそれを引き受けることにした。初めは『メゾン・ド・ヒミコ』の中のゲイの住人たちに嫌悪感を持っていた沙織だったが、彼らと触れ合っているうちに、彼女は次第に打ち解けていく。


観終わったあとに読んだパンフには、「生と死、愛と絆、欲望と希望を鮮やかに綴っていく」と書いてあった。「そうか、そういう映画だったのか」と思った。「『ジョゼ虎コンビ』+オダギリジョー」に期待しすぎたのがいけなかったのか、私には、観終わった時に微妙な感覚を覚えた。全く誰にも感情移入できず、ただ、スクリーンの中で繰り広げられるやりとりを第三者の目で見続け、そして物語は終わった。

柴咲コウは、この作品の中では「ブスな女」として登場している。確かに無愛想で、いつもノーメーク。でも、やっぱり私には「ブス」には見えない。本当は彼女が美人だということが、私の頭の中にしっかりと刷り込まれているからだ。沙織は世の中を冷ややかな目で見ていていて、父親を拒絶し、ゲイに嫌悪感を持ち、借金を返すことに精一杯でメークする余裕もない「ブスな女」。その女が、『メゾン・ド・ヒミコ』の奇妙な住人たちや、父親の恋人・春彦と心を通わせていく話だ。でも、観ている最中には"それ"を感じ取ることが出来なかった。沙織には、もっと「ブスな女」に納得できる女優を使うべきだったと思う。そうすれば、私ももう少し彼女の気持ちに入り込んで映画を観ることが出来たかもしれない。

しかし、今回初めて見たが、卑弥呼役の田中泯の存在感は凄かった。ただベッドに寝ているだけで、異様なほどにオーラを発している。彼と演技を張り合うには、見た目で柴咲コウくらいのインパクトがある女優が必要だったのかもしれない。オダギリジョーは、愛する人をガンで失いかけて焦燥感に駆られる青年役で、生気のない演技で頑張っていたが、卑弥呼との間に「愛」を感じられなかったのが残念だった。やはり彼は主役をやるより脇役で輝く人だということを、今回の映画でも改めて感じさせられた。

『ジョゼと虎と魚たち』でもそうだったが、犬童一心監督×渡辺あやのコンビは、ラストシーンが実に上手い。今回の『メゾン・ド・ヒミコ』でも、それだけは「やられた」と思った。あのラストシーンは最高だった。

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2005年09月28日

死よりも残酷な生がある◆『私の頭の中の消しゴム』4

5e5ed639.jpg9月22日(木)試写会にて

このタイトルが、ストーリーの50%を語っている。私はどんな作品か、タイトルを聞いただけでどんな話かだいたい分かった。主人公は若い女性。彼女が『若年性アルツハイマー病』にかかり、新しいものからどんどんと記憶が消えて行く…という話だ。

キャッチフレーズは「死より切ない別れがある」。
私は「それは違う」と思った。この世に死よりも切ない別れなどない。「死」でもって大切な人と別れた経験がある私は、そのキャッチフレーズには多少の疑問を抱いた。しかし、愛する人が『若年性アルツハイマー病』にかかった人の切なさもよく分かる。この作品には自分の体験がリンクして、とても深く深く考えさせられたのだった。

映画の話から逸れてしまって申し訳ないが、私の彼(GUY)も、それによく似た病気だった。しかし、私のことが彼の記憶から消えてしまう前に、彼は亡くなった。彼は、糖尿病の合併症で『脳血管性痴呆』(『海を飛ぶ夢』で弁護士のフリアがかかっていたもの)という病気にかかっていたと思われる。私が「思われる」と言うのは、そのための脳の検査をする直前に彼が亡くなってしまったからで、医師からはっきりとした診断を受けたわけではないからだ。インターネットで調べてみたら、彼の症状が『脳血管性痴呆』と全く同じだったので、私はそう確信したのだ。
『脳血管性痴呆』は『まだら痴呆』とも呼ばれ、正常な部分と痴呆の部分とが入り交じって現れる病気で、『アルツハイマー』とは似ているようで違う病気である。彼は亡くなる数ヶ月前からその症状が現れ始めた。それから少しずつ症状を進めて行き、2週間前からは急激ににひどくなり、そして、ある日突然、倒れて亡くなった。

もし、彼がこの病気を抱えたまま、今も病気を進めながら生きていたら、私は今頃どうしていただろうと考えることがある。でも、いくら考えても答えは見つからない。彼の死はとても悲しいものであったし、だからといって、あのまま生き続けていることが彼にとって幸せかどうかということに疑問がある。まだ34歳だというのに、誰かに世話をしてもらわなければ自分のことは何も出来なくなり、やがては色んなことを忘れていく。もちろん、私の存在も理解出来なくなってしまったかもしれない。それは本当に「死よりも切ない別れ」という言葉で表現するのが正しい気もする。


話を映画に戻そう。

建築家を目指しながら、工事現場で現場監督として働くチョルス(チョン・ウソン)と、建設会社の社長令嬢スジン(ソン・イェジン)。無愛想なチョルスと、おっちょこちょいでピュアなスジンが恋に落ちて結婚する。二人は世界中で誰よりも幸せな結婚生活を送っていた。しかし、おっちょこちょいなスジンの物忘れはどんどんと激しくなり、時々、自分の家に帰る道さえも分からなくなってしまう。心配になったスジンは、チョルスに内緒で一人で医師を訪ね、検査を受ける。そこで彼女が医師から告げられた病名は『若年性アルツハイマー病』だった。やがて、チョルスも彼女の異変に気づき、その病名を知る。そこで、二人は失われていく記憶をつなぎ止めるために、様々な努力を始める。


この映画の中に、印象的な言葉があった。
「アルツハイマーとは、肉体的な死より精神的な死が先に訪れる病だ」
なんという、残酷な言葉なのだろう。アルツハイマーは、発病後、死に至る期間が6〜8年程度だという。それが分かっていて、自己を無くしてしまう病に冒されたスジンを見守る家族というのは、どれだけやりきれない気持ちなのだろう。

この映画は「絶対に泣く」と思って観ていた。でも、意外なことに涙は出なかった。上記に書いた通り、その先の「死」まで経験してしまった私には、チョルスが彼女の記憶をつなぎ止めるように一生懸命努力することも、その気持ちに切なさを感じながらも「無駄な努力」に映ってしまい、割と冷静な目でその行動を見つめてしまうことしか出来なかったのだ。私の中で、自分自身の体験の記憶が占める割合が大きすぎるため、チョルスとスジンの気持ちにまでは入り込めなかったが、彼らの気持ちだけはよく分かったし、決して悪い映画ではない。私と同じ経験をした人でなければ、きっと「忘れまい」と努力する彼らの行動は涙ものだろう。

この映画は、2001年読売テレビ製作の永作博美、緒形直人主演の『Pure Soul〜君が僕を忘れても〜』というも日本のテレビドラマのリメイクらしい。オリジナル脚本のドラマがこんな形で大々的にリメイクされているのに、きっとドラマは低視聴率でひっそりと放映されていたんだろうな…。
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2005年09月21日

アニメ版の方が迫力があった◆『頭文字(イニシャル)D THE MOVIE』3

fca4de83.jpg9月21日(水) TOHOシネマズ岐阜にて

私が『頭文字(イニシャル)D』の世界を初めて知ったのは、2001年1月に劇場公開されたアニメ版を観に行った時だった。全く興味がなかった私は、半ば強引にその映画に連れて行かれたのだが、それは素直に「面白い!」と思える作品だった。何が面白いかというと、ただクルマをバトルさせるだけでなく、その背景に描かれているストーリーが何ともユニークなのだ。主人公の藤原拓海は、中学生の時から家業の豆腐屋の配達を父親に命ぜられ、(もちろん無免許で)毎日、早朝に峠を越えて豆腐の配達に行く。早く配達を済ませ、帰って寝たいがために、峠を下るスピードがどんどんと速くなり、知らぬ間に常人離れしたドライビング・テクニックを身につけていた…というプロットも面白く、彼は常に「藤原とうふ店」の看板を背負ったハチロク(AE86)で運転をしている。コミックが原作なので、何年から始まったものかよく知らないが、私がアニメ版を観た時点で、15年も前の1986年式のトレノで猛スピードで走り、最新のスポーツカーとバトルして運転テクニックで勝って行くのだ。

軸になっているストーリーも面白いが、登場してくる人物たちも、とても魅力的。藤原拓海は、普段はボーっとしているくせに、クルマでバトルが始まると獣のような目になる。凄い運転テクニックを持っていると言っても、一歩間違えばそれは「死」にも繋がる世界だ。なのに彼らは戦う。それがクルマに乗ると獣のような目になる「走り屋」たちの魅力なのかもしれない。
もう一人、私が大好きなキャラクターは拓海の父親、藤原文太。中学生の息子にクルマを運転させて豆腐を配達させるような破天荒な部分があるが、常に拓海とハチロクを最高のコンデイションにしておくことを考えている。とてもユニークなキャラクターで、私の一番のお気に入りだった。

ユーロビートの音楽に乗せて、クルマが凄い勢いで駆け抜ける。アニメといっても迫力満点で、私は「面白かった〜」と言って、大満足して劇場を出た。そして、そのあとコミック版を1巻からアニメ版が終わるところまでを読んでみた。

だから、今回の実写版もすごく楽しみにしていたのだ。本来なら日本で撮るべきだろうが、道路を封鎖しての峠のバトルシーンは日本では撮影許可が下りず、この作品は香港で撮影され、『インファナル・アフェア』のアンドリュー・ラウとアラン・マックが監督する香港映画となった。しかも、藤原拓海役は台湾のシンガー、ジェイ・チョウ。拓海とバトルする高橋涼介役&中里毅役には、『インファナル・アフェアII』で若き日のラウとヤンを演じた、エディソン・チャンとショーン・ユーだ。藤原文太役は同じく『インファナル・アフェア』でウォン警視を演じたアンソニー・ウォンで、日本からは茂木なつき役で鈴木杏が出演しているだけ。ジェイ・チョウは北京語で、鈴木杏は日本語で、そして、あとの香港人俳優たちは広東語でセリフを話し、それを全て日本語に吹き替えるという、ちょっと変わった手法が取られている。

今回は実写版ということで、全てプロのドライバーが危険なダウンヒルの峠のドリフト走行を実際に行って撮影された。クルマ好きでないと分からないかもしれないが、さすがにプロのテクニックを見せ付けられ、素晴らしいの一言。しかし、カーアクションだけとってみると、ちょっと趣が違うかもしれないが『ボーン・スプレマシー』の方が凄かったように感じた。『頭文字(イニシャル)D』のドライバーたちは、確かに運転テクニックは凄いが、「映画」という映像にしてみると、少し迫力に欠けるのだ。音楽もイマイチ迫力がなく、アニメ版のユーロビートの方がイメージに合っていたような気がする。その点から判断すると、2001年1月に劇場公開されたアニメ版『頭文字(イニシャル)D』の方が面白かった。原作では藤原文太もあんな飲んだくれのダメ親父ではないし、ラストシーンも何だかしっくりこなかった気がする。

ちなみに、アニメ版『頭文字(イニシャル)D』のラストシーンは今回とは違い、それは原作とも違っている。原作では高橋涼介のチームに入ることを決意した藤原拓海が、茂木なつきに「これが俺がやりたいことなんだ」と言って、彼女を助手席に乗せ、ハチロクでダウンヒルを駆け抜ける(…という記憶だが、なんせ読んだのが数年前なので、違っていたら許して下さい)。私はこのラストシーンが一番好きだった。

でも、高橋涼介役のエディソン・チャンはかなりカッコよかった。惚れそうになった。


※「本来なら日本で撮るべきだろうが、道路を封鎖しての峠のバトルシーンは日本では撮影許可が下りず、この作品は香港で撮影され」と書きましたが、このシーン日本の榛名山と一部新潟県で撮影されたそうです。教えてくださった、KUSさん、peridotさん、ありがとうございました。
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2005年09月20日

これは忍者映画なのか?◆『忍 −SHINOBI−』2

c8cf6a5e.jpg9月20日(火) TOHOシネマズ木曽川にて

今年は『パッチギ!』から始まり、『イン・ザ・プール』 『オペレッタ狸御殿』から、現在公開中の『メゾン・ド・ヒミコ』など、7本もの映画に出演するオダギリジョー。彼が、NHKの『トップランナー』というインタビュー番組に出たとき、そのことに関して、「『忍 −SHINOBI−』だけは、ずっと出演を断り続けていた」と言っていた。映画製作サイドからの強い熱意に押されて出演を決意したらしいが、言い換えれば彼にとって、「出来れば出演したくない映画」だったのだ。


1600年代初め、関が原の決戦で勝利を収めた徳川家康は、伊賀と甲賀、五対五の忍術合戦でどちらが生き残るかによって、次期将軍を決することを決めた。もともと犬猿の仲であった伊賀と甲賀だったが、初代・服部半蔵との約定によって長い間戦うことを禁じられていた。しかし、伊賀甲賀争忍の禁は解かれ、二つの忍者勢力は決死で戦うことになった。それまで、長く平和な日々が続き、伊賀の党首の孫娘・朧(仲間由紀恵)と、甲賀の党首の跡継ぎ・弦之助(オダギリジョー)は恋に落ちていたが、二人はその指令によって戦わなければならない運命となってしまったのだった。


「これって、確か、忍者の映画だったよね?」
それがまず最初の私の感想。予告編を観て、『あずみ』一作目のようなアクション時代劇を想像して少しは期待していたのだが、その期待は見事に打ち砕かれた。伊賀と甲賀、五対五の忍術合戦で五人ずつの忍者が登場するのだが、使っているのは忍術を超えた『妖術』。観ていて思わず「これじゃまるで『妖怪大戦争』だよ」と思ってしまった。だって、椎名桔平が扮する薬師寺天膳なんて、何度殺しても生き返ってくる不死身の忍者で、もう300年も生きていることになっているのだ。あり得ない…。他の忍者たちもしかり。もはや忍者の域を超えている妖怪たちだった。

確かに映像は綺麗だったが、仲間由紀恵が扮する朧(おぼろ)と、オダギリジョーが扮する弦之助が、お互い惹かれ合い、愛し合う姿はとても淡白に描かれていて、互いが憎みあう組織の中に居るつらさも伝わってこない。ロミオとジュリエット的な恋愛映画としても、これはとても満足出来る出来ではなかった。オダギリジョーがこの映画を断り続けていたという理由もよく分かったし、私もオダギリファンだからまだ観られたものの、オダギリが出ていなかったら怒り心頭で暴れてしたかもしれない。
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2005年09月16日

痛快なブラックファンタジー◆『チャーリーとチョコレート工場』5

b060cff6.jpg9月16日(金)TOHOシネマズ木曽川にて

チャーリー(フレディー・ハイモア)は、貧しいながらも暖かい家族に囲まれて暮らす少年で、彼の憧れは、ウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)が経営する世界一のチョコレート工場。昔、祖父がその工場に勤めていたが、内部にスパイが入ってライバル社にレシピを盗まれたことで、全員が解雇されてしまったのだ。それからその工場に入った者は誰もいない。世界一のチョコレート工場の工場の中は一体どうなっているのか。
ある日のこと、「チョコレート工場に5人の子供とその保護者を招待する」とウォンカ氏が発表した。チョコレートの中に入っている「金のチケット」を引き当てた者が工場見学出来るということで、世界中は大騒ぎになる。しかし貧しいチャーリーにはチョコレートを買うお金は無く、毎年、誕生日に一枚だけそのチョコレートをプレゼントしてもらっていた。チャーリーは少し早めの誕生日プレゼントとして両親からチョコレートをもらい、ドキドキしながら包みを解くが、そのチョコレートには残念ながら「金のチケット」は入っていなかった。落胆するチャーリー。「金のチケット」の当選者は既に4人決定し、残りはあと1名。そんな時、思わぬ出来事で、チャーリーの元に「金のチケット」が転がり込んできた。チャーリーは、昔、工場に勤めていた祖父を保護者として同伴させ、工場見学へと臨む。


映画のタイトルって『チャーリーとチョコレート工場』だったんだと、映画を観終わってから知った。私はずっと『チャーリーとチョコレート工場の秘密』だと思っていて、劇場の窓口でも『チャーリーとチョコレート工場の秘密』と言ってチケットを買った。原作は『チョコレート工場の秘密』というタイトルなのだが、映画のタイトルも『チャーリーとチョコレート工場の秘密』というタイトルの方が、なんとなくワクワク感が高まって良くない? …と勝手なことを言っておりますが。

ある映画情報番組で言っていた。ティム・バートンはディズニーランドの『イッツ・ア・スモール・ワールド』が大嫌いなのだそうだ。だから、5人の子供たちが工場に入った瞬間からそれをパロディにしたブラックな世界が展開される。この辺りは『シュレック』に似ているかもしれない。工場の中はまさにおとぎの国のよう。でも、招待された子供のうちチャーリー以外はみんな「目に余る悪い子」ばかりなので、そこで次々とトラブルが起こる。保護者もついているのに我が子には知らん顔というのが、見ていて私の方も腹立たしかったし、ウォンカの仕掛けにハマっていってとんでもないことになっていくのが痛快だった。

チャーリーは確かに「貧しいがいい子」だけれど、「特別にいい子」ではなく「普通の子」だった。ウォンカに工場を案内される時も、言われるがままついて行っただけで、特別なことは何ひとつしていない。他の子たちは「やるな」と言われたことをわざわざやってみせて、とんでもない目に遭わされる。この作品では「やっていいことと悪いこと」をしっかりと教えている。子供向けにしてはブラックがキツすぎる作品かもしれないが、ある意味、子供に見せるべきブラックファンタジーなのかもしれない。
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2005年09月15日

1クールのドラマとして観たかった◆『タッチ』3

4fcf451b.jpg9月15日(木) TOHOシネマズ木曽川にて

私が初めて『タッチ』を知ったのは、テレビ放映が始まる前のコミック版だった。当時高校生だった私は、中学生の妹が学校の友達から1冊ずつ借りてきたものを、又借りして読ませてもらっていたのだった。双子の男の子と二人が恋する女の子と野球のほのぼのとした話。同じ年代の主人公たちが繰り広げる物語を、私は夢中になって読んでいた。しかし、そうやって読み進めていたら、途中で突然その中の一人が交通事故で死んでしまうではないか(7巻だったらしい)。想像もしていなかった展開と、そのショックに、私はコミックを読みながら泣いた記憶がある。コミックを読んで泣いたのは、それが最初の経験だったと思う。コミックはその後も26巻まで続き、私は最後まで読みきったし、その後に放映されたテレビアニメも毎週観ていた(これは全101話だったらしい)。

そんな『タッチ』が実写で映画化された。監督は私が大好きな『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心。主人公の朝倉南には、長澤まさみがキャスティングされ、私は「彼女なら朝倉南になれる」と納得出来た。可愛さと爽やかさを持ち合わせた彼女には、『ロボコン』の時から注目していたのだ。…というより、この20年間で、朝倉南にぴったりな女優は彼女以外思いつかないほど、私にはイメージが合ったのだ。双子の上杉達也と和也を演じる斉藤祥太と慶太も良かったし、原田役のRIKIYAも良かった。

『タッチ』は以前、劇場版のアニメとしても3部作が公開されている。コミックで全26巻、テレビアニメで全101話のものを3部作にまとめるだけでも大変だったろうと思う。それなのに、今回はそれを実写版で2時間で全部見せようとしているのだ。「あのシーンがカットされている」とか、「あの人が出てこない」などということは当たり前のことで、どこをどうピックアップし、アレンジするかが脚本家と監督のセンスの見せ所だ。

確かに長い長いストーリーの見せるべき部分を上手くピックアップしているものの、主人公たちと周りの人たちの気持ちが伝わりにくく、1クールのドラマのダイジェスト版を観ているような気持ちになったことも否めない。このスタッフとキャスティングで、せめて1クールのドラマとして観てみたかった。犬童一心監督はよく頑張ったと思うが、青春時代にリアルタイムで『タッチ』を読んで泣いてきたファンからしたら、映画としてはギリギリ及第点かな。…というか、やっぱり2時間じゃ無理。
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スクリーンでないと味わえない迫力◆『トップガン』(デジタル・リマスター版)4

d56d8f5b.jpg9月15日(木) ユナイテッドシネマ稲沢にて

この映画は1986年に公開され、日米でその年の興行収入第一位となったそうだ。私も1986年当時は、今ほどではないが、月に1〜2本の映画を観ていた。しかし、アクション系の映画に興味はなかったので、流行っているからと言ってわざわざ観に行く事もしなかった。それでも、最近では全く興味がなかったわけではなく、今回、デジタル・リマスター版でスクリーン公開するということを聞き、当時それほど流行った映画がどんなものなのか観に来たのだ。

あまりに有名な映画なので、ストーリーについてあれこれ書くのはやめておく。今回は、デジタル・リマスターされたものを観たということもあり、19年前の映画だというのに、全く古さを感じさせない。しかも、音響がいいスクリーンで観たので、戦闘機の爆音の迫力も凄くて驚いた。現在ならCGで簡単に処理してしまうような飛行シーンも、この撮影では米海軍のパイロットが実際に操縦していたらしい。とにかく飛行シーンの迫力に圧倒された。これは19年前だからこそ撮れた作品なのだろう。

主役のトム・クルーズは誰もが承知している通りだが、トムが演じるマーヴェリックの相棒グースには、『ER 緊急救命室』のDr.グリーンことアンソニー・エドワーズ、マーヴェリックのライバルのアイスマンには、ヴァル・キルマーが扮している。ヴァル・キルマーはすぐ分かったが、アンソニー・エドワーズはあんなにも出演シーンが多かったにも関わらず、観終わってチラシを読むまでグース役を演じていたとは気づかなかったので、何だか悔しかった。あと、ちょい役なのだけれど、グースの妻にはメグ・ライアンが扮し、どこかにティム・ロビンスも出ていたらしい(メグはすぐ分かったが、ティム・ロビンスに気づかなかったのも悔しかった)。

この映画の魅力は飛行シーンで、ストーリーではない。だから今回、デジタル・リマスター版で音響がいいスクリーンで観ることが出来てとても良かった。家のテレビで観ていたら、きっと★★★くらいだったと思う。ここでしか観られないと思って少し遠出してきたが、近所のTOHOシネマズ木曽川でも「COMING SOON」になってた…。順次各地の劇場を周っていくようなので、昔この映画が「面白い」と思った人は、ぜひこの機会に大スクリーン、大音響でもういちど体験してみてはいかがでしょう。
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2005年09月13日

ボクシングで脱落しても、人間として堕落しなかった男◆『シンデレラマン』4

6d5c7724.jpg9月13日(火)試写会(TOHOシネマズ木曽川)にて

アメリカ大恐慌の時代、人々に希望を与えた"シンデレラマン"と呼ばれたボクサーが居た。

前途有望なプロボクサー、ジム・ブラドック(ラッセル・クロウ)は、妻・メイ(レネー・ゼルウィガー)と3人の子供に囲まれ、幸せな日々を送っていた。しかし1929年、右手の骨折から勝利を見放されたジムは、ボクサーとしてのライセンスを剥奪されてしまう。同時にアメリカを襲った大恐慌。ジムは失業者のひとりとなり、日雇いの肉体労働者として、わずかな生活費を稼いでいたが、その仕事にも毎日就けるとは限らなかった。ガス代も電気代も滞納して止められてしまった家の中で、彼が守りたかったのは愛する家族だけだった。
そんなある日、かつてのマネージャーが、ジムに"ある試合の依頼"を持ってきた。新進ボクサーとの試合の相手の選手が怪我で出場をキャンセルしたというのだ。初めから負けと分かっている試合。しかし、その試合に出るだけで金は入り、生活は楽になる。ジムは"負け試合"を承知で、その試合に出場することにする。


同じボクシング映画で衝撃を受けた『ミリオンダラー・ベイビー』のあとだったので、いまひとつ物足りなさを感じたのは事実だ。「アメリカン・ドリーム」や「サクセス・ストーリー」を予感させた『ミリオンダラー・ベイビー』が想像もしない方向へ行ってしまった衝撃は相当なものだったので、この『シンデレラマン』が"それ"で終わってしまったことは、『シンデレラマン』の感想よりも、むしろ「やはり『ミリオンダラー・ベイビー』はすごかった…」という感想にまで発展してしまった。

かと言って、決して出来が良くないわけではない。負け知らずの前途有望なボクサーが、ボクシングの世界から脱落したとき、プライドを捨てても必死で家族を守ろうとする。これは、女の私が観るより、家族を持ったお父さんが見るとグッとくるシーンかもしれない。ボクシングの世界からは脱落しても、人間としては決して堕落しない。それがこの作品の魅力とも言える。

以前、『ミリオンダラー・ベイビー』のレビューで私はこう書いた。

「ボクシングとは、相手をノックアウトするまで叩きのめすという、過酷なスポーツだ。本編の中に"人間は血を見るのを好む"というセリフがあったが、私はたとえスポーツであっても、人が殴り合っているものを見ることは好きではない。殴られている人を見ると、自分に痛みを感じてしまい、とても直視出来ないのだ。私はボクシングの試合を見ながら、なぜ、あんなに痛い思いをしてまで、戦わなければならないのだろうと思う。しかも、それには常に危険が付きまとい、時には身体の機能の一部までを奪うことがある」

ジミーの妻・メイは、決して彼の試合を行こうとしなかった。「あなたが殴られている姿を見たくない」そう言って、子供たちと共に、家の中で夫の帰りを待ち続ける。家の中ではボクシング中継のラジオもつけない。ジミーは帰って来た時に、子供に「勝った?」と聞かれて、初めて「勝ったよ」と答えるのだ。常に身体への危険を伴うスポーツを誇りを持って行う夫の帰りを待ち続ける妻の心境とはいかなるものなのだろうか。私だったらどうだろう。他のスポーツならその場で応援したいと思うだろうが、格闘技となるとちょっと違うと思う。やはり、メイのように、結果を聞かず、家の中で祈りながら夫の帰りを待っているだろう。

『シンデレラマン』というタイトルが示唆する通り、ジミーはもう一度チャンスをつかみ、どん底から這い上がって行く。自分のプライドのためではなく、家族のためだけに。実話だけにこの人は本当に素晴らしい人だったのだろうと思ったし、監督のロン・ハワードは、それを上手く映像化していた。しかし、やはり格闘技が苦手な私にはボクシングのシーンが長すぎたのが、ちょっとつらかった。
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2005年09月11日

"カルト映画"と言っていいかも◆『銀河ヒッチハイクガイド』2

0a4ccc23.jpg9月11日(日) TOHOシネマズ名古屋ベイシティにて

ある日突然、世界各国の上空に巨大な宇宙船が現れた。太陽系を通るバイパスを作るのに、地球が邪魔なので爆破するというのだ。英国人アーサー(マーティン・フリーマン)は、それを友人のフォード(モス・デフ)から聞き、宇宙船にヒッチハイクし、間一髪で爆破前の地球から脱出することが出来た。実はフォードは異星人であり、宇宙最大のベストセラー『銀河ヒッチハイク・ガイド』の編集者だったのだ。しかし彼らを拾ったのは、ヒッチハイカーが大嫌いなヴォゴン人。彼らに拷問を与えた末に、船外へ放り出してしまう。次に彼らを拾ったのは、無責任な銀河系大統領ゼイフォード(サム・ロックウェル)が乗っていた、宇宙一の速さを誇る高速船『黄金の心号』だった。


『ギャラクシー・クエスト』や『マーズ・アタック!』の馬鹿馬鹿しさが大好きな私は、そのノリを期待していたのに、この作品にはあまりにもシュールでついていけなかった。

「地球において、人類は3番目に高等な生物であり、2番目はイルカ。1番はハツカネズミである」
「宇宙をヒッチハイクするのに、最も重要な持ち物はタオル」
「耳の中に魚を入れれば、どんな宇宙語でもその宿主に理解可能な言語に変換してくれる」
「拷問は、宇宙で3番目に酷いと言われている詩の朗読を聞かせること」
「42という数字は、生命、宇宙、その全てに対する答えである」
「フォードとゼイフォードは3人の母を共有する遠い兄弟」
「レモン汁をかけると、頭が冴える」

…と、よく理解出来ない事柄がサラリと流されるように語られ、とてもついていけない。「気持ちがいいほど無責任な大統領」や「宇宙で最も憂鬱なロボット」は、見ているだけで可笑しいし、全く笑えないわけではない。でも、どこをどう笑ったらいいのか分からないシーンがあまりにも多過ぎるのだ。伝説のカルトSF小説の映画化だという。これはある種「カルト映画」と言ってもいいかもしれない。決して万人ウケする作品ではないと思う。かなりのB級映画好き、カルト映画好きの人にしかオススメ出来ない作品。
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2005年09月10日

全く興味が持てなかった◆『愛についてのキンゼイ・レポート』1

28bce362.jpg9月10日(土) TOHOシネマズ名古屋ベイシティ

つ…つまらなかった。久しぶりに途中退出したいと思った作品だった。タイトルに騙されたかもしれない。この映画にタイトルを付けるなら、『性についてのキンゼイ・レポート』という方がぴったりだろう。なぜなら、このレポートには「愛=性欲」という方程式は前提になく、生物学者であり、大学の助教授キンゼイ(リーアム・ニーソン)が個別面接しながら、人々の「性」の実態のデータを収集していく話だからである。

キンゼイ教授の「性」に関する授業は大人気で、私も大学の生徒と同じように、最初は興味を持って観ていた。しかし、研究にのめりこんで行くキンゼイ教授と、暴走していく性癖はだんだん見ていて耐えられなくなってきた。調査結果を出版した「キンゼイ・レポート」の男性版は大ベストセラーになり、キンゼイは一躍「時の人」になるが、女性版はソッポを向かれた。以前は大盛況だった講演会も、一人、一人と聴衆が去って行ったように、私の気持ちもだんだん冷めていった。

これは実話に基づく話である。結局は、私がキンゼイ教授自身に興味を持てなかったのが、面白くなかった原因だと思う。
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2005年09月09日

彼女の気持ちが見えてこない◆『ヴェラ・ドレイク』3

48e9313d.jpg9月9日(金) 名演会館にて

アカデミー賞では『監督賞』 『主演女優賞』 『脚本賞』にノミネートされた、マイク・リー監督の新作。こういう作品を「それほど面白くなかったし、感動もしなかった」と言うと、「冷酷な人間」という烙印を押されるのかもしれない。でも正直に言って、私にはそれほど心に響いてくるものはなかった。


1950年のロンドン。家政婦の仕事をしているヴェラ・ドレイクは、大切な家族と共に毎日を過ごしていた。しかし、彼女には家族にも打ち明けられない秘密があった。その秘密が明らかになった時、ヴェラは犯罪者の烙印を押され、法に裁かれなければならなかった。家族はその秘密と、警察に連行されていった彼女にショックを受け、言葉を失う。その罪は許されるべきものなのか。法は彼女を許すのだろうか。


ヴェラの「秘密」というのは、予告編でも宣伝用のチラシの中でも明らかにされていないので、ここで書いたら「ネタばれ」と断っておかなければならない。しかし、予告編を観ただけで、ヴェラが一体何をしていたのかは予想が付いた。それは物語の最初の方に明らかになるので、なぜ配給会社がそれを「秘密」として宣伝しているのかはよく分からないが、私はこの「秘密」をあえて隠しておく必要はないと思うので、「ネタばれ」で感想を書こうと思う。

「秘密」というものをはっきりと言うと、ヴェラがやっていたのは、望まない妊娠をした娘たちを、道具を使って人工的に堕胎させたことだった。ヴェラ自身は無報酬でそれを行い、そのことを「娘さんたちを助けてあげた」と言う。一度だけでなく、何度も何度も言う。つまり、自分がやっていることは「良いこと」であり、それに対する罪悪感はないのだ。堕胎させる娘たちには常に優しく接し、いつもにこやかで、自分がひとつずつ胎児の命を奪っているという意識は全く見せない。しかし家族には、そのことは伏せている。私はヴェラ・ドレイクの気持ちが分からなかった。それとも「娘さんたちを助けてあげた」とつぶやきながら、罪の意識から逃げようとしていたのだろうか。残念ながら、私はこの作品を観る限り、そこまで深読み出来なかった。

望まない妊娠を堕胎させる映画と言えば、私は、同じイギリスが舞台となった『サイダーハウス・ルール』が浮かぶ。ラーチ医師(マイケル・ケイン)は、孤児院で望まれずに生まれた子供を育てながら、堕胎を望む女性たちに、当時禁止されていた堕胎処置を行っていた。しかし、彼は彼なりにその罪の意識に苦しみ、モルヒネを使って我を忘れようとする。それが人間だと思うのだ。望まれずに生まれてきた子供たちと、堕胎の必要性、そして罪の意識が、この映画はとても素晴らしく描かれていた。しかし、『ヴェラ・ドレイク』では、ヴェラが堕胎の手助けをするようになった経緯も分からなかったし、何よりそれを行っている時のヴェラの気持ちがはっきりと分からなかったのだ。

逆に、ヴェラの家族の気持ちの描き方は素晴らしかった。戸惑いと、彼女を許そうとする気持ちの葛藤の表現は秀逸で、特に、ヴェラの夫・スタンと、ヴェラの娘の婚約者・レジーが印象的だった。私自身が「人工的な堕胎」に対する偏見があるから、ヴェラに感情移入出来なかったのかもしれない。ヴェラの気持ちが見えて来た時、私にもこの作品の素晴らしさが分かるのかもしれない。
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2005年09月08日

アイデアは面白いが、演技が過剰◆『サマータイムマシーン・ブルース』4

53648fbf.jpg9月8日(木)TOHOシネマズ木曽川にて

甲本、新美、小泉、石松、曽我の5人は大学のSF研究会に所属している。しかし、SFの研究などせず、真夏の部室でクーラーに当たりながらダラダラと過ごしていた。そんな中、はずみで新美の持っていたコーラが、クーラーのリモコンの上にこぼれてしまい、クーラーのスイッチはOFFになったままリモコンは壊れてしまう。甲本(瑛太)は、SF研究会の顧問で大学助手の保積(佐々木蔵之介)にリモコンの修理を頼むが、彼はそれを直すどころか壊してしまう。
翌日、照りつける太陽の下、また部室に集まった5人の目の前に、突然、25年後の未来からやってきたというマッシュルームカットの男性と、タイムマシンのようなダイヤルとレバーが付いた金属の物体が現れた。それが本当のタイムマシンだとすれば、1日前に戻って壊れる前のリモコンを取ってこようという案が飛び出し、ついにはそれを実行することになった。しかし、過去を変えれば未来も変わるという保積の説明を聞き、5人はタイムマシンに乗って過去と現在をいったりきたりするはめになる。


過去にタイムスリップして未来を変えようとする映画と言えば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が有名だし、少し前に見た『バタフライ・エフェクト』も面白かった。しかし、この『サマータイムマシーン・ブルース』が前出の2作と完全に違うのは、「未来を変えるために過去にタイムスリップする話」ではないということだ。彼らは単純に、エアコンのリモコンが欲しいためだけに過去にタイムスリップする。過去からリモコンが消えてしまえば、現在に戻ってもリモコンは存在しなくなるという理論は、最初は全く頭にはない。そして、それだけではなく、色々都合よく過去をいじって現在に戻ってくる。「理論」を知った彼らは慌てふためき、また過去に戻って全てを元通りにしようとする。発端は"クーラーのリモコン"という馬鹿馬鹿しさが何とも面白い。その上、こういう話の中に必ず登場するトラブルメーカーが今回も居て、上手くいきそうなことをひっくり返す。SF映画ではなく、ドタバタのコメディだ。

監督は『踊る大捜査線』シリーズの本広克行。元々は、『ヨーロッパ企画』という劇団が舞台で演じていた作品を本広監督が観て気に入り、映画化したらしい。『ヨーロッパ企画』は1998年同志社大学においてユニット結成、2000年に現在の形になった劇団。劇団の脚本はもちろん、この映画の脚本も手掛ける『ヨーロッパ企画』主宰の上田誠は、まだ弱冠25歳だというから驚きだ。間違ってとんでもない過去に飛ばされ、そこでの一件が「現在」にまで大きく影響しているところなどは、斬新で面白かった。

ただ、大学生が5人の男子大学生が、大騒ぎし過ぎでうるさい映画だという印象もあった。舞台ならあれくらいの騒がしさも平気だろうが、過剰な演出(…というより演技か?)が鼻について仕方なかった。映画なのだから、もう少し演出を控えめにしてもよかったかも。あのテンションについていくのが大変で、観終わった時ちょっと疲れていた。
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大崎ナナの魅力に参った◆『NANA』5

b0c8f70c.jpg9月8日(木)TOHOシネマズ木曽川にて

大人気のコミックの映画化ということは知っていたが、私は原作を読んでいない。だから、原作と比べてキャラがどうのとか、ストーリーがどうのとかいうことは一切書けないし、素直にこの作品を「1本の映画作品」として感想を述べてみようと思う。先に率直な感想を言うと、面白かった。もう一度観たいとも思った。それくらい面白かった。

大崎ナナ(中島美嘉)は、地方の地元では人気のバンドのボーカリスト。同じバンドに居た彼氏の蓮(松田龍平)は、2年前、東京のバンドに引き抜かれ上京して成功を収めていた。自分も東京でボーカリストとして成功する夢を抱え、ナナは東京行きの新幹線に乗った。偶然、その隣に座ったのが小松奈々(宮崎あおい)。彼女は東京で美大生として生活している彼を追いかけて上京しようとしていた。しかも、話の流れで二人は同じ20歳だと知る。同じ年齢で同じ名前の二人の女性が、同じ電車でそれぞれの夢を抱えて上京しようとした偶然。見た目も性格も全く正反対の二人だったが、どこか運命めいたものを感じるのだった。
東京駅に着いて二人は別れるが、ひとり暮らしを始めるのに借りようとした部屋が同じだったことで、再会を果たす。ふたりは奇妙な共同生活を始めながら、お互いの生活を始める。ナナは蓮のバンドを超えようと、昔のメンバーと一緒に新しいメンバーを募り、バンド「ブラスト」を結成する。ナナの歌を初めて聴いた奈々は、心を揺さぶられ、ますますナナを応援する気持ちが高まるのだった。そんな時、奈々は蓮が所属する人気バンド「トラネス」の最前列のライブチケットを手に入れる。ナナが昔、蓮と付き合っていたことを知らないナナは、彼女をそのライヴに誘うが…。


簡潔に言うと、このストーリーは大崎ナナのサクセスストーリーだ。そして、そこに至るまでのプロセスが丁寧に描かれ、その中で小松奈々の存在がとても大きなものとなっている。愛、友情、夢、音楽。色んなものがふんだんに盛り込まれているのに、全く嫌味がなく、きっちりと上手くまとめられた2時間だった。大崎ナナと小松奈々の正反対っぷりも見事なものだが、彼らが好きになる二人の男性も、全く正反対だ。互いに2年間合わなかったが、一人は簡単にその愛を終わらせ、一人は離れていても彼女を愛し続けた。このエピソードも見事だった。

正直言って、中島美嘉がデビューした時、私は特別視されるほどのコではないと思っていたし、その感想は彼女が大ブレイクしてからも変わらなかった。しかし、ナナとして歌っていた時の彼女は驚くほど輝いていて、すごく素敵なロックボーカリストだった。彼女は、こっちの路線に変えた方が合っているんじゃないかと思ったほどだ。こちらもまたナナとは正反対のもう一人の歌姫、伊藤由奈の歌声も素晴らしく、聴いていて心地よい。彼女が演じるレイラは、ナナと真っ向から勝負出来る実力のアーティストで、この歌姫対決もストーリーを盛上げる。

監督は誰なんだろう…と思ったら、私の大好きな映画『とらばいゆ』を撮った大谷健太郎監督だった。公式サイトには他のスタッフの名前は書いていなかったけれど、脚本は大谷健太郎監督と浅野妙子の共同脚本だったらしい。浅野妙子という名前はあまり聞かないが、調べたら、テレビドラマの『神様、もう少しだけ』や『ラブ ジェネレーション』を書いた人らしい。ナナが発する言葉は、どんなセリフも心に響いてくる。見かけは怖くて言葉も悪いお姉ちゃんのナナが、本当は優しくていいコなのが、この物語を引き付ける魅力なのかも。私もナナの魅力に参りそうになった。…というか、参った。
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2005年09月07日

この映画に「創作」は要らなかった◆『モディリアーニ 〜真実の愛〜』3

da7f0419.jpg9月7日(水)TOHOシネマズ岐阜にて

モディリアーニの画といえば、私が一番先に思い出すのは『おさげ髪の少女』。なぜなら、名古屋市美術館に常設している作品ので、本物を何度か見たことがあるからだ。独特な画風で、優しい色使い。他の作品を見ても、そこに描かれている人物たちはほとんど優しい表情をしていて、この画を描いている人がこれほどまでに激しい人だとは思いもしなかった。

映画の冒頭で、「これは真実を元にした創作である」という注意書きが映し出される。例えば『海を飛ぶ夢』を例に挙げれば、私は元々、ラモン・サンペドロという人を知らなかったわけだし、ストーリー上に多少の創作が入っていても全く気にならず、創作の部分も含めて、それがラモン・サンペドロの人生だと理解することも出来る。しかし、モディリアーニという馴染みの深い人の伝記映画を「真実を元にした創作」と断られると、頭の中は混乱してきて、どこまでが真実で、どこまでが創作なのかが知りたくなる。

インターネットで調べた限りではこうだった。
1884年、モディリアーニはイタリアで裕福なユダヤ人の一家に生まれたが、父親の事業の事業の失敗により破産。生まれつき、身体は弱かった。フィレンツェ、ヴェネツィアで絵を学んだあと、1906年、肖像画家を目指してパリへと渡る。彫刻や絵画に取り組むが、本格的に画業を取り組み始めたのが1914年からだった。酒と薬は彼の弱った身体を更に蝕み、1920年、普段の不摂生(深酔い)と従来の持病より肺炎となり36歳で死去。
一方、モディリアーニと恋に落ちるジャンヌ・エビュテルヌは、1898年、パリ生まれ。33歳のモディリアーニ知り合い同棲を始めた時、ジャンヌは19歳で、両親には相当な反対を受けていた。モディリアーニとの間に女児を儲けるが、モディリアーニの第二子を身ごもっていたジャンヌも、彼の死にショックを受けてアパートより投身自殺する。

この辺りは映画と全く一緒だったので、どうやら「真実を元にした創作」ではないらしい。…となると、ピカソとのエピソードが創作になるのだろうか。ラストの死の原因も創作かもしれない。でも、モディリアーニとジャンヌの愛を描いた事柄に「創作」が無いなら、最初からそこに焦点を絞って「これは真実を元にした創作である」などという、わざとらしい注意書きを出さなくてもいいんじゃないかな、と思った。例え「創作」があっても、わざわざ断る必要があったのだろうか。あの注意書きを最初に読まされただけで、かなり冷めた。

モディリアーニはジャンヌと知り合って、たった3年間で、25枚以上の彼女の肖像画を描き残したそうだ。しかし、彼女の肖像画には、ほとんど「瞳」が描かれていない。(物語の中では、何となく"それ"を会話で知った)
最後の展覧会のシーン、青い瞳がくっきりと描かれたジャンヌの肖像画見た時、胸が震えた。それはスクリーンの向こうにあったのに、モディリアーニのジャンヌに対する愛情がグッと伝わってきたシーンだった。

伝記映画としてはまぁまぁだが、どこまでが真実なのか分からない伝記映画ってどうなんだろう。それでも、あの『おさげ髪の少女』を優しいタッチで描いた作者が、これほどまでに激しい人生を送っていたと知っただけで、良かったのかもしれない。
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2005年09月05日

本当の日韓交流と、懐かしい高校生活◆『リンダ リンダ リンダ』4

7ca61dd7.jpg9月5日(月) TOHOシネマズ木曽川にて

文化祭前日、バンドを結成しているキーボードの恵(香椎由宇)、ドラムの響子(前田亜季)、ベースの望(関根史織)は途方に暮れていた。文化祭のライヴに向けてオリジナル曲の練習を重ねてきたのに、ギターの萌(湯川潮音)が指を骨折してしまったのだ。恵が代わりにギターを弾くにしても、萌抜きではオリジナルは演奏出来ない。そんな時、軽音楽部の部室から古いカセットテープを見つけた3人は、そのカセットから流れるブルーハーツの『リンダ リンダ リンダ』にすっかり乗ってしまった。あとはボーカルを探すだけ…といった時、たまたま通りがかった韓国人留学生のソン(ペ・ドゥナ)をボーカリストに誘い、彼女たちはブルーハーツの曲を練習し始める。文化祭のライヴまであと3日…。


意味も分からず、「はい」と返事をしてしまったために、急遽バンドのボーカルを務めることになった韓国人留学生のソン。文化祭では「日韓交流のブース」を担当させられ、実はやっていて自分も面白くない。そんな中で全く知らない20年前の日本のロックを歌うことになってしまう。最初はカタコトで。でもだんだん言葉がリズムに乗って来る。私はバンド経験はないのだけれど、エレクトーンのアンサンブルというのはやったことがある。全員の息がピッタリと合って、ひとつの音楽を作り出したとき、それはとてつもなく気持ちが良いもので、その仲間が最高の仲間に思えてくる気持ちはよく分かる。

先生役にはブルーハーツの甲本ヒロトの実弟の俳優、甲本雅裕が演じ、ブルーハーツを練習する彼女たちを優しく見守るところが微笑ましくて良かった。役柄にはブルーハーツのボーカリストと兄弟ということは全く関係ないが、いわゆる"ブルーハーツ世代"の教師が、彼女たちの演奏に懐かしさを感じるシーンなのだろう。

高校の学園祭。誰もが懐かしさを感じることが出来る。私ももし子供を産んで育てていればこれくらいの娘たちが居てもおかしくないし、私から見れば高校生なんて「まだまだ子供」なのに、実際にはもう何でも出来る大人と同じだ。独自の感性で垂れ幕を作ったり、クレープを焼いて売っている姿を見てそう思った。でも、そういう自分自身は、高校生の時にはもう一人前の考え方を持っていた。高校生って大人なんだ。この映画を観て改めてそう感じた。そう考えると、自分があの頃から何も成長していないような気がしてならない。

誰も興味を持ってくれない「日韓交流のブース」で居眠りをするソン。ソンが書いたラストの年表の落書きを見て「本当の日韓交流」とはどういうことなのかということにも考えさせられた。たった3日間の「代理」だったはずが、きっと彼女たちの友情はずっとこの先も続いて行って、何年先にもいい思い出となって残るのだろうな、そんな気がした。
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2005年09月02日

写真は「撮らせていただく」もの◆『村の写真集』4

f62f1c84.jpg9月2日(金)  シネマスコーレにて

月に私よりもたくさんの映画を観ている友人から薦められた『村の写真集』を観に来た。友人はとにかくこの映画に絶賛で、「今年のナンバー1の日本映画になるかも」と話している。確かに地味で静かだが、いい映画だった。しかし正直に言って、観終わった時、私にはそれほど心に響くものはなかった。


年老いた元・写真屋の研一(藤竜也)が、ダムに沈むかもしれない徳島の村の家々を周って家族写真を撮り、村の写真集を作って欲しいと村役場の青年に頼まれる。同じく写真に興味を持った息子・孝(海東健)は、父親に反発して東京でカメラマンの助手をしているが、父親の助手をするために一時的に村に呼び戻される。二人は村の一軒一軒を歩いて周り、家族写真を撮って行く。効率よく周るために車で移動しようと提案する孝に、研一は頑として「歩いて周る」と言い張る。村の人と接している父の姿を見たり、今まで知らなかった父の過去を知るうちに、研一は父の偉大さを知り、自分の人生観を変えていく…。


ある体験を通して主人公が人生観を変えて行く映画はたくさんあり、それらの多くは感動を呼んでいつまでも心に残ったり、時には、観た人自身の人生観を変えてしまうこともある。しかし、この作品に関しては、私は「決して悪くない、無難な映画だな」と思った。敢えて言うなら「歩かないと見えてこないものがある」というテーマが、自分の考えにピタっと当てはまったくらいだった。時間に追われ、走ってその場に向かううち、気づくべきものに気づかずに通り過ぎてしまうこともたくさんある。それを、この作品はゆっくりゆっくり時間をかけて見せてくれた。それだけは分かったが、他に何を書けば良いのだろう。友人がなぜそこまでこの映画に惚れ込んだのかを知りたかった私は、彼女にこの映画のどこが好きだったのか聞いてみた。彼女の答えはこうだった。

「お父さんは、写真を撮りに行く時、いつも正装をしていく。そして、撮り終わったあとに『ありがとうございました』と言って帽子を取って挨拶をする」

確かにそうだった。最後の一枚を息子が父親に託された時、彼は「撮ってあげる」という気持ちでシャッターを切った。しかし、父親は毎回「撮らせていただく」という気持ちでシャッターを切っていたのだ。息子が魚を捕まえて得意になっている子供たちの素敵な笑顔を撮った時、彼は確かに「その笑顔を1枚撮らせて欲しい」という気持ちでシャッターを切っていた。ストーリー上では明確な表現はしていなかったが、その気持ちこそが写真家として大切だということに、息子は気づいたのかもしれない。私もそれに気づいたとき、この作品が急にとても素敵な映画に感じられてきた。

私も写真を撮るのが好きだ。でも、空の写真も花の写真も「撮らせていただく」なんて思ってシャッターを切ったことはない。今度「撮らせていただく」という気持ちでシャッターを切ってみようか。もしかしたら、何かしら心に響く写真が撮れるかもしれない。
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2005年09月01日

あの原作を二時間に収めたのはすごい◆『亡国のイージス』(2回目)4

461643f9.jpg9月1日(木) TOHOシネマズ木曽川にて

「こういう系統の映画は得意ではないので、自分でお金を払っては絶対に観に行かないだろうなと思いつつ、何気なく試写会に応募してみたら当選したので観に来た」と、前回のレビューで書いた『亡国のイージス』だったが、意外にも自分とっては面白く、緊迫したやり取りの中であっという間に時間が過ぎて行った。しかし、色んな方が書かれた感想を読んでみたら、原作ファンの方にはとても評判が悪い。あれ? 私って、ちょっと感覚がズレているのかな? と思った。まぁ、でもそれもそれでいい。「得意でない系統の映画」を意外にも面白く観ることが出来たのだから。

元々観る気がなかった作品なので、主要な配役以外、誰が出演しているのかも知らなかった。映画の宣伝用のチラシには、寺尾聰、中井貴一、真田広之、佐藤浩市の写真が大きく写っていて、前回は舞台挨拶に勝地涼くんが来たので、「その5人が出演する自衛隊の映画」という知識で臨んだ。そうしたら、吉田栄作、谷原章介、豊原功輔、安藤政信、原田芳雄、原田美枝子、岸辺一徳、真木蔵人という、何とも豪華なキャスト陣で驚いた。その上、前回のレビューで「谷原章介は、どこに出ていたのかも分からなかったし、安藤政信はセリフの1つもなかった」と書いたら、友人に「谷原章介はめちゃめちゃ活躍していたし、安藤政信もちゃんとセリフはあったよ」と怒られた。私はとにかく真田広之演じる仙石と、勝地涼演じる如月とのやり取りに気を取られ過ぎていて、あまりしっかり観ていなかったようだ。重要なシーンを見落としたことが悔しくて、もうすぐ公開が終わるという直前にもう一度観に来た。

出てた…。谷原章介、命を張ってめちゃめちゃ活躍していた。あんなに活躍したのに気づいてあげられなかったなんて、私って一体…!? 安藤政信も、ちゃんとセリフがあった。みんな深く帽子をかぶっていたり、イージス艦の薄暗さで顔がはっきり分からなかったのだ。(…と言い訳しておこう)でも、もう一度観てちゃんと確認出来てよかった。

他の方が書かれていたように、一度目に観た時には特に気にならなかったことが色々気になって、説明が足りないと思われる箇所も随所に見受けられた。しかし、私は二度目を観た時もやはり、仙石と如月の関係をメインに観ていたので、気にはなったがスルー出来た。「原作を斜め読みしたような映画」という評を書いていた方がいたので、本屋に行って原作本を手にとってみた。こ…この分厚さは何? これを隅々までしっかり描ききって二時間の映画にするのは無理でしょう。そう思った。二回観たけれど、やっぱり映画として面白かったと思った。例え、他の人とちょっと感覚がズレているとしても、べつにそれで構わない。私は「面白かった」という感想は変えないでおこう。しかし…あの原作を読もうと思ったら、相当気合を入れて頑張らなきゃだめっぽいね。
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最新記事
新作映画満足度

【満足度の基準】
注:映画の良し悪しではなく、
桂木ユミの満足度です。

★★★★★「すごくいい」
★★★★「いい」
★★★「まあまあ」
★★「金返せ」
★「時間を返せ」

【2006年8月】
ラフ ROUGH★★★
ゆれる(2回目)★★★★★
美しい人★★★
僕の、世界の中心は、君だ。★★★
花田少年史★★★
佐賀のがばいばあちゃん★★★
ゆれる★★★★★
トランスアメリカ★★★★
ユナイテッド93★★★★
パイレーツ・オブ・カリビアン2★★
幸せのポートレート★★
時をかける少女★★★★★
ゲド戦記★★

【2006年7月】
ラブ☆コン★★
ハチミツとクローバー★★
日本沈没★★★
スーパーマン・リターンズ★★★
タイヨウのうた(2回目)★★★★
ブレイブ・ストーリー★★
やわらかい生活★★★
ステイ★★
カーズ(字幕版)★★★

【2006年6月】
着信アリ Final★★
ホワイト・プラネット★★
M:I:3★★★
DEATH NOTE(前編)★★★★
LIMIT OF LOVE 海猿★★★★
バルトの楽園★★★
インサイド・マン★★
オーメン★★★
トリック劇場版2★★★
初恋★★★
花よりもなほ★★★
ダ・ヴィンチ・コード★★
間宮兄弟★★★★
ポセイドン★★★
トランスポーター2★★★
デイジー★★★
GOAL!★★★★

【2006年5月】
タイヨウのうた★★★★
夢駆ける馬ドリーマー★★★
嫌われ松子の一生★★★★
かもめ食堂★★★★
ナイロビの蜂★★★★★
ピンクパンサー★★★★
Vフォー・ヴェンデッタ★★★★
チェケラッチョ!!★★★
グッドナイト&グッドラック★
ぼくを葬(おく)る★★★

【2006年4月】
陽気なギャングが地球を回す★★
明日の記憶★★★
ニュー・ワールド★★
ホテル・ルワンダ★★★★
ブロークバック・マウンテン★★★
ファイヤーウォール★★★

【2006年3月】
白バラの祈り★★★★
南極物語★★★
ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!★★★★
子ぎつねヘレン★★★
シリアナ
クラッシュ(2回目)★★★★★
イノセント・ボイス-12歳の戦場-
★★★★
ウォーク・ザ・ライン/君につづく道★★★

【2006年2月】
クラッシュ★★★★★
スパングリッシュ★★★★
カミュなんて知らない★★★★
ブラックキス★★
ミュンヘン★★
ジャーヘッド★★★★
ピーナッツ★★★★
天使★★★★
男たちの大和/YAMATO
★★★★
レジェンド・オブ・ゾロ★★★

【2006年1月】
オリバー・ツイスト★★★★
アメノナカノ青空★★★
博士の愛した数式★★★★
ロード・オブ・ウォー★★★
歓びを歌にのせて★★★
スタンドアップ★★★★★
プライドと偏見★★
キング・コング★★
THE 有頂天ホテル★★★★
SAYURI★★★
ディック&ジェーン 復讐は最高!★★★
チキン・リトル★★★


これ以前のものはこちら
(旧作もこの中にあります)
映画満足度(過去分)
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